楽しく暮らすとは何なのか、僕なりに考えてみた

楽しく暮らしたいと思う理由

楽しく暮らしたい。
この言葉は、特別な覚悟がなくても自然に出てくる。

将来の目標というほど大げさじゃないし、
誰かに宣言するようなものでもない。
ただ、できれば毎日を気持ちよく過ごしたい。
それくらいの感覚だと思う。

でも、いざ「楽しいって何だろう」と考え始めると、
途端に答えがぼやける。
僕自身、ずっとそうだった。

仕事がうまくいっているとき。
人間関係が落ち着いているとき。
生活に余裕があるとき。

そういう状態を「楽しい」と呼んできたけれど、
それだけで全部説明できる気はしなかった。


条件がそろっていなくても、落ち着く日がある

不思議なことに、
条件があまり良くないときのほうが、
気持ちが落ち着いている日がある。

忙しい。
先のことも少し不安。
それでも、心は意外と静かだったりする。

反対に、
特に問題がないはずの日に、
理由もなく疲れていることもある。

この差は何なんだろうと、
ここ数年よく考えるようになった。

外側の出来事だけでは、
説明がつかない何かがある。
そんな感覚が残る。


楽しさは「気分」ではなく「状態」

今のところ、僕がたどり着いているのは、
楽しく暮らすというのは
単純に気分がいい状態を保つことではない、という考えだ。

ずっと前向きでいるのは無理だし、
毎日気分良く過ごせる人なんて、たぶんいない。

それよりも大事なのは、
自分が今どういう状態なのかを
ちゃんと分かっていることだと思う。

疲れているなら、疲れている。
余裕がないなら、余裕がない。

それを認めているだけで、
気持ちは少し安定する。

無理に切り替えようとしないことが、
結果的に自分を守っている気がする。


無意識に自分を急かしてしまう

僕たちは日常の中で、
思っている以上に自分を急かしている。

もっと頑張らなきゃ。
このくらい我慢するのが普通だ。
周りはちゃんとやっている。

そういう考えが積み重なると、
自分の感覚が後回しになる。

何が嫌なのか。
どこで無理をしているのか。
そういうことが分からなくなっていく。

楽しく暮らすというのは、
その状態から一歩引いて、
自分に追いつくことなのかもしれない。


何かを足すより、力を抜く

これまでは、
楽しさを増やそうとしてきた。

新しいことを始める。
気分転換をする。
自分を変えようとする。

でも最近は、
何かを足すよりも、
余計な力を抜くほうが大事だと思っている。

やりたくないことを、
やりたいふりで続けない。
合わない環境に、
無理に慣れようとしない。

すぐに行動を変えられなくても、
そう感じている自分を否定しない。

それだけで、
心の負担は少し軽くなる。


小さくても落ち着ける時間を持つ

その代わりに意識しているのは、
小さくても落ち着ける時間を残すことだ。

長い休みじゃなくていい。
特別なイベントもいらない。

短い休憩。
何も考えずに過ごす時間。
気を張らなくていい瞬間。

そういう時間が一日のどこかにあると、
全部がうまくいっていなくても、
「今日は悪くなかった」と思える。

それはたぶん、
心がちゃんと呼吸できている感覚なんだと思う。


今のところの、僕なりの答え

楽しく暮らすとは、
毎日が明るく、前向きであることじゃない。

不安もあるし、迷いも消えない。
状況が劇的に変わるわけでもない。

それでも、
自分の感覚を信じて過ごせている日は、
気持ちが必要以上にすり減らない。

派手さは必要ないし、
誰かと比べる必要もない。

自分の時間を、
自分の感覚で使えているか。

今はそれが、
僕なりの「楽しく暮らす」という答えだ。

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